先日墓参に参りました。
といっても、畏まった風ではなく、先年亡くなった兄なる人物を慕って墓参希望者がおられるとのこと。その場所がわからんので教えろと言われるらしい。勿論そんな命令口調ではない。わが家の菩提寺は古い寺で墓が現代的に並んでいないので説明のしようがないから、その辺の墓に向かって適当に拝んでもらったらいいじゃないか・・・と、落語のようなわけには行かない。ここで参照されるのは無論「お見立て」。
ともあれ、昔の寺は近代的なグリッドパターンでお墓が配列されていない。だから、何を目印に何列目の何番、みたいな「住所」がつくりにくい──というわけで、写真を撮って、この目印からみてこのあたり、という分かり易いビジュアルを求め、通りすがりに立ち寄ってみた、という次第。
写真を撮り、少しばかりの掃除を済ませてさて帰ろうと思ったところで、何か引っかかる。何だろう?・・・そうだそうだ、蓑虫山人の墓があったのだ。
そう。うちの菩提寺である長母寺は、江戸末期から明治に掛けて日本全国を放浪していた絵師、蓑虫山人が寄宿し、その晩年を過ごした場所でもある。蓑虫山人という絵師を知ったのは「ハニワと土偶の時代」という東京国立近代美術館での展覧会。得も言われぬ味わいの作風に惹かれたのが最初だったのだが、その後名古屋でも作品の情報に触れる機会があり、そこで長母寺に寄宿していたという事実を初めて知った。これは嬉しくも奇縁。何しろ開山850年にもなろうかという古刹。そんな出来事もあろうというものだ。
蓑虫山人は、「笈(おい)」という背負子のようなかたちに縮小できるテントのようなものを考案し、全国を放浪しながら絵を描いていたという。
傑作なのは「籠庵」なる竹で編んだ住処を作り、実際にそれを岐阜の志多見(名古屋の志段味とは異なる)に据え付けて住んだというはなしで、実際に絵として残っているが、それらはことごとく人を食ったような姿で絵の味わい同様実に滋味溢れる。
その蓑虫山人の墓が、長母寺にあるという。
そう、それを忘れていたのだった。
ウロウロ探してもちっとも分からない・・・ので、ネット検索にここでも頼ってその姿を先に認識。すると、ありましたよありました。うちの墓から徒歩50歩くらいじゃないですか。そして蓑虫型の愛嬌のある墓石。
墓碑にはこうあります。
蓑虫庵遍照源吾居士
明治三十三年二月二十一日入幽境
・・・訪れた日は2月20日でした。何かの縁を感じなくもない。
ちなみに、長母寺には蓑虫山人の絵がかなり保存されているらしいので、以前住職に見せてくれないかと頼んでみた。
・・・断られました。



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