先週の話になりますが、映画を見ました。
『東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート』(青山真也監督)。
新国立競技場の二度目のコンペが行われたあとだったか、あるいは最初の時だったか、すっかり時期を失念してしまったが、新聞記事で目にした覚えがある。あるいはネットの記事だったかもしれない。
都営住宅が対象となる敷地の周辺にあり、住民たちの移住の問題がある、という話。
どうなったのか気にはなっていた。しかしマスメディアの報道の中で、その後目にすることもなく、結果こちらもどこかに引っかかる思いを残しつつ、そのまま時間が流れていた。
こういうドキュメンタリーを地道に撮る人がいてくれてよかったと思う。
オリンピックの華やかな話題、というより私利私欲にまみれた剥き出しの欲望だけが、広告代理店的な空々しい美辞麗句で糊塗されて、割り振られた役割を難なく演ずる演者たちによって、私たちに日々届けられる。
手垢にまみれ私たちの手元から奪われていった言葉──絆、多様性、感動、勇気。
合法的に誰かが公然と金儲けをし、税金から支払われる。誰も責任を取らない。“建築家”を名乗る人びとは、それを煽る側にしかいない。
芸術家艾未未のドキュメンタリー映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』で、たしか冒頭に触れられていたと記憶しているけど、氏がデザインに携わったあの競技場周辺で、オリンピックに絡んで強制的な住民排除が行われたことに抗議して、開会式をボイコットした。
──結局アパートの住人たちは、強制的に退去・引っ越しさせられるほかなく、身障者にさえ容赦ない、どころか引越にさしのべられる補助さえない。
「(引っ越し先が)いやなら、出て行ってくださいよ」
と都の職員に言われたらしい。言葉の記憶は定かではないが、要するに引っ越し先が狭くて、そこを渋っていたようだ──というのはカタログを読むと推測できる。
少し前にみた映画、東京に子供の頃に逃げてきたクルド人難民を記録した『東京クルド』に、おそらくは入管職員が、クルド人の若者に投げつける言葉がある。
「帰ればいいんだよ。他の国行ってよ」
日本中を、そんな言葉が覆っている。
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